ベストドクターズ選出医インタビュー詳細
世界を駆ける、胃がん手術のスポークスマン
がん研有明病院 消化器外科部長
佐野 武 先生
日本の胃がん治療は、世界有数の技術をもつ。しかし、その成果を世界に向けて発信することにおいては、必ずしも得意とはしてこなかった。そこに忸怩(じくじ)たる思いを感じたドクター佐野は、自らを「スポークスマン」と任じ、「定型手術=D2胃切除術」を携え、世界各地を駆けめぐってきた。技術のみならず、その心意気まで伝えてきたとの自負は大きい。昨年秋、15年勤めた古巣を離れ、医師としての転機を一歩踏み出した。
臨床医としての原点を見つめ直す日々
不案内な我々取材スタッフを自ら出迎え、迷いそうな長い廊下を抜け、会議室へ案内してくれる佐野先生の足取りは軽い。前日見学した手術室での手技も同様、傍らからきびきびと器械出しをする看護師との呼吸は何とも小気味よかった。
「一番驚いているのは僕本人かもしれません。まさかこちらのお世話になるとは」と口火を切ると、築地(がんセンター)から有明(癌研〈当時〉)へ、近くて遠い引っ越しの慌しさを一気に振り返った。一息ついて、ふと口をついて出たのが「いやぁ、実にハッピーにやらせてもらっています」の一言。
前職では、部長という立場上、病院幹部としての職務も重い。限りある時間のなかで、最大限の力を尽くしたが、忙しさは不満というより不安につながった。「あと10年、自分は医師としてどう生きるのか」―思いに素直になったら、答えは意外にあっさり腹に落ちた。「やっぱり自分は臨床医」―。心が決まれば、ためらいはない。さまざまな批判も予想できたが、あえて「あと10年、あくまで自分の人生」を貫こうと思った。
唯一気がかりといえば、患者さんたちのこと。外来で受け持っていた患者さんたちには、全員に自分で書いた手紙を残した。「無事に治療を終えられ、がんセンターを『卒業』されていくことをお祈りします」との一言を添えて。
診療の質を保つ上で、佐野先生が非常に高く評価しているのが、ここのキャンサーボードだ。キャンサーボード。一般に聞きなれない言葉だが、ごくごく簡単に言えば各科合同カンファレンス+ チーム医療の実践、あるいは集学的治療か。縦割りでは対処しきれない「がん」の特殊性に配慮したシステムといえる。
「がんというのは、本当に特殊な病気。必ず生命にかかわるし、治療法は一つではない」。がんが疑われたとき、告知、治療の選択、治療後のフォロー、転移・再発、緩和……。がんとのかかわりは、途切れることなく患者さんの人生に影響を与える。そのときどきに患者さんが必要とする専門家は変わってくる。
「がんって、全体のバランスで『治る』ものだと思うんです。患者さんが一番大事にしたいこと・医療側に求める人間は一様ではありません。だから、そのとき一番必要とされることに熱心な人間がすぐに対応できるよう、バランスよく配置しておく。縦割り、各科が高度に専門化した、いわば個人商店が並んでいるような大学病院では非常に難しいシステムです」
専門医としての忌憚のない意見をそれぞれが述べ合う場。「みんなの目を通して得た結論が、結局は極めて普通の、穏当な結論になるかもしれません。でも、多くの目に鍛えられるということが大切。自分の専門に心酔するあまり独断に陥る抑止力としても、とても合理的なシステムだと思いますよ。逆に挑戦的な試みでも説得力のある根拠があれば、チャンスを与えることができます」
欧米が認め始めた日本の胃がん定型手術
専門の胃がんについては「世界の胃がん患者の6割弱は中国、日本、韓国をはじめとする東アジアが占めています。そのなかで、診断にしろ治療にしろ、常に良いものを追求してきたのは日本。まず、ほかの国から新しいものが出てくる余地はないでしょう」と明快だ。
しかし、今でこそ国際的にも信頼し得る治療法として認められつつある「定型手術=胃の3分の2以上を切除+D2リンパ節郭清」だが、ずいぶん長い間、リンパ節郭清は日本だけのローカルルール的な扱いを受けてきた。その理由は「日本は世界に向かって発信するのが下手、というか、熱心ではなかったから」。手順が誤ったまま「定型手術」が行われてきた例が少なくなかったという。
何とか、広く海外にも正しい定型手術を伝えることはできないか。欧米の患者さんは実際、日本人とは体格も違うし、そうした要素を丁寧に検討する必要もある。まずは、同じテーブルにつくこと、相手の意見に耳を傾けること、そして根気よく説明することを目指した。佐野先生は自らを「D2のスポークスマン」と呼ぶ。「僕の説明で、『初めて理解できた』と言ってくれた海外の医師が何人もいます」
佐野先生のまいた種は確実に実り、今も1年に10~15人程度の医師たちが、イギリス、イタリア、南米などから研修にやってくる。イギリスでは、定型手術の技術を身につけることは、その道のスペシャリストとして高いインセンティブをもたらすという。英国外科医師会には、その名も「D2コース」(今年から食道がん・胃がんコースと名称を変更)という講座があり、生徒は限定16人。教授陣は佐野先生を含めて10人。短期間で中身の濃い授業が行われている。
プライベートに水を向けると、佐野家の壮大な歴史に圧倒されることとなった。佐野先生自身「大きなプレッシャーだった」ともらすが、実家は大分県杵築市で代々医業を行ってきた旧家。初代・佐野徳安がこの地で医業を始めたのは400年も昔のこと。父が13代目として佐野医院を継いだが、14代目は東京で勤務医となり、地元・佐野医院の看板は下ろした。「もう、わが家の役割も終わった」と、2003年に「徳安生誕400年記念」のイベントを企画・実行し、東京育ちの子どもたちにも故郷杵築と自分たちのルーツを知ってもらう機会とした。「子どもたちには自分のようなプレッシャーは感じさせたくない」とのけじめだったが、長男は医学を修める道を選んだという。(2009年3月記事)
1980年東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院第一外科、静岡県焼津市立総合病院などを経て、93年より国立がんセンター中央病院外科勤務。96年より同医長、07年より同部長を務める。2008年9月より現職。日本胃癌学会理事、国際胃癌学会幹事。英国外科医師会「D2胃切除講座」の講師をはじめ、ヨーロッパ、南米、アジア各国で胃がん手術の実演教育に精力的に取り組んでいる。